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母の事。家族の事。

2022年11月2日19時36分。
最愛の母が亡くなった。

大腸がんとの5年間の闘病生活は、最後の一年で激化。
同年2月から、僕の住むマンションに引き取り、10月まで一緒に生活するも、施設に入り一月ももたずに他界。

最後の一年は本当に怒涛だった。
母が来たことにより生活は変わって。
日に日にできることが減っていく母を誰よりも近くで見守った。
通院にもすべて付き添ったし、訪問介護にもすべて立ち会った。
本当に、本当に色々な場面で助けてあげられた。

なのに。
何回か優しくできなかった時のことが、呪いみたいにこびりついて消えない。
「ごめんね」の言葉を思い出すと、涙が止まらなくなる。

頑張らなくていい母に。
どうして色々頑張らせてしまったんだろう。
少しでも、良くなって欲しかったから。
減っていく体重を、少しでも増やしてあげたかったから。
歩けなくなる体が、少しでも回復すればって。

母が「早く楽になりたい」って言ったのは。
もしかしたら僕が無理させちゃったからかも、って。
ずっと後悔してる。

施設に入れたことも。
それが最善だったとしても。
心のどこかで、ホッとしてる自分が居たのが嫌だった。
毎日施設に通ったけど。
「帰らないで」って言われて、胸が締め付けられた。

動けない母が、1人で寂しく施設で過ごした時間は、どんな気持ちだったんだろう?
施設に入る数日前にやった、イラストしりとり。
施設に持って行ったノートに、一人でしてた。
寝たまま、ノートを持つのも、鉛筆を持つのも大変だったはずなのに。

施設の人に意地悪されてるって言ってた。
いつも、そんなの気にしない人なのに。
そこまで心が弱っていたんだと思う。

ごめんねって言わなきゃいけないのは僕だよ。
これを書いてる間も、涙が止まらなくて。
でもやっぱり、母のことは書いておかなきゃと思ったから。


色々書いたけどでも、母を施設に入れたことは悪い事ばかりじゃなくて。
色んな人に来てもらって写真も撮れた。母はいつもピースをしてくれて。
僕の家族はずっと、仲が悪くて。
母が癌になってもそれは変わらなくて。
でも、最後の数週間で、少しずつ話せるようになって。
最後の最後に、家族そろって写真を撮れて。
その時のピースが、母の最期のピースになって。

母と二人きりになった時に「俺と姉ちゃんが話してて、嬉しい?」って聞いたら頷いてた。

母が亡くなってもう七ヶ月になるけど。
毎日姉弟ラインで話すくらいにはちゃんと姉弟してる。
昨日も姉が作ったカレーを持ってきてくれた。
母さんが生きてる時に、母の日に圧力なべをプレゼントしたんだけど。
生前一度も使うことなく終わり(笑)
今年の母の日に実家に帰った時に、初めて使ってみて。
その圧力なべで作ったカレーみたいで。
凄く美味しかった。
驚くほど鶏むね肉が柔らかくなってて。
約20年話をしてこなかったとは思えないくらい。
本当に普通に話せるようになった。
次女と長女も、仲良くしてる所なんて見たことなかったのに。
今では普通に鬼滅の話とか、声優さんの話とかしてる。

…もっと早くこうなってればって、やっぱり思ってしまうけど。
でも、母のおかげでやっと姉弟仲良くできて。

母には本当に、感謝してもし足りない。
いつまでも世話のやける子供たちでごめんね。



いつか僕が死んで。
その時に母さんにいっぱい楽しい話できるように頑張る。
母が亡くなってから、そう決めた。
その時に一緒に「あの時は優しくできなくてごめんね」って言おう。
「まったくだよ」って怒られそうだけど。
今は怒って欲しくてしょうがないんだ。

ふと思うんだけど。
母が亡くなってからがきっと。
僕の人生の第二章が始まったんじゃないかなって。
それぐらいに、色々と変わった。

このブログも第二章として続けていけたら良いな。

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