死ぬことばかり考えてしまうのは きっと生きる事に真面目すぎるから
言葉の端々で胸をえぐってくる歌詞が本当に大好きなんだけれど。
以前、中島美嘉さんに楽曲提供をしたことがありまして。
「僕が死のうと思ったのは」
っていう、なんともamazarashiらしいタイトルなんだけれど。
これ、俺としては是非秋田ひろむさんの歌声で聴きてぇなと。
常々思っていたんです、別に中島美嘉さんがどうこうではなく。
純粋にamazarashiが好き過ぎるからなんですけど。
で。
そんな俺の願いを、横浜中華街あたりに旅行に来てた神様が察知して、
「あ、そんくらいだったら、かなえちゃるで」
と叶えてくれたんだと思う、たぶん。
↑amazarashi初のビデオクリップ集「anthology」
26日発売のビデオクリップ集に、ボーナストラックとして、ライブで弾き語りした「僕が死のうと思ったのは」が収録されまんた!!
(*´д`*)
で、やっとこさ聞きましたよ。
………………。
中島美嘉さんには悪いけれど、俺が欲しかったのはこれでした(遠い目)
なんだろうかね、もはや、同じ歌詞でも他の人が歌ったんじゃダメなんだなと思った。
これを例えばBUMP OF CHICKENが歌ってもダメだろうし、LUNKHEADが歌ってもダメんだろうな。
秋田ひろむさんが歌う「僕が死のうと思ったのは」じゃないと、少なくとも俺は満足いかんのだと思う。
この曲の中に、今回のタイトルと同じ歌詞があるんだけれど。
「ああ、そうか」と。
別に自分が真面目アピールをするわけではないのだけれど、
なんだかこう、他人に迷惑をかけてまで生きたいとは思えないぐらい、大事な何かを持ち合わせていない俺みたいな人には多分伝わるんではなかろうか。
まるで救われたような、一つの答えをもらったような。
ただ「ネガティブ」で終わらせてしまえばそれまでなのに、
こんなふうに「死にたい」と思うことに、
なんともおあつらえ向きな答えを提供してくれた秋田さんには本当に感謝してやまない。
「強い希望を描くために色濃い闇も描かなければならない。」
と、秋田さんは言っているのだけれど、まさにそうだなと。
ハッピーエンドハッピーエンドばっか言って、なんの闇も描かない作家さんおるけど。
その人が描く作品を見たり聴いたりしても、何も響いてこない。
少なくとも俺には。
しかしこの話は逆もまた然りで、濃厚な闇を描くためには、やはり鮮明な希望も描かんといかんのだと思う。
絶望があるから希望もあるし、希望があるから絶望もあるし。
最後にもう一個、この曲の中から。
「愛されたいと泣いているのは 人の温もりを知ってしまったから」
結局俺みたいなやつでもどこかで、人の温もりには触れているんだと思う。
それが例えば直接的ではなく、漫画やドラマや友達の話や。
そういった人から見聞きしたもんでも「人の温もり」ってのは感じられる訳だし。
ああ、早くCD化されて欲しいな。
DVDでこの曲を聴き続けるのって結構手間なのだ。
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