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あれから1年




言わずと知れたあの大震災から1年。
数え切れないほどの犠牲者の方々に。
心から冥福をお祈りします。

よく。
「被災者」という言葉を耳にしますが。
たぶん。
この震災の被災者ってのは。
津波の直撃を受けた町の人々はもちろん。
原発の側で暮らしてた人達。
震源からは遠くても、強い揺れを感じた人や、
遠くの町で、被災地の事を心配してる人々。
外国で、日本に来るのを楽しみにしていた方々。
その全てが、被災者なんだろうなって思います。

そう考えると、あの震災は本当に。
多くの人間に災いをもたらしたんだなって。
悔しくなります。

以前書いたかもしれませんが。
僕の田舎は福島で。
従兄弟夫婦と、その子供達が津波の被害にあいました。
従兄弟は民家の屋根にしがみつくようにして、亡くなっていたそうです。

親戚にそれほど興味関心のない僕も。
「ふーん」と聞き流せる話ではありませんでした。
その時の恐怖や孤独を想像すると。
どうしても、目頭が熱くなるのです。

忘れたいけど。
忘れてはいけない出来事。

たぶん。
これから毎年。
3月11日には思い出すんだろうと思います。
一分でも、一秒でもいいから思い出して。
目を閉じます。
そして、思い浮かべます。
居なくなってしまった人達が、確かに居た事。
正直。
あまり覚えてないんです僕。
死んでしまった従兄弟の事。
でも。
死んでしまった従兄弟の事を思い出して目に涙を浮かべる「叔父さん、叔母さん」の顔ははっきりと瞼に焼き付いているんです。
だから。
それ頼りにでも。
従兄弟の事。
他の、なくなった方々の事を、僕なりに、祈れたらなと思います。

そして今。
首都直下型の大地震が危ぶまれてますよね。
実際に震度7以上の、大地震が来たら。
備えなんて気休めなのかもしれませんけど。
でも、何もしないよりは、した方が絶対にいいと思うので。
皆さんも、備えはしっかり――

――と言いつつ。
自分がまだ、全然備えられてないんですけどね(笑)

| 日記 | 05:19 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

No title

親戚の方が亡くなられてたんですね。
それは痛ましい…。

なんだかTwitterのほうで
『あの地震があった3月11日にTwitterやってるなんて不謹慎だぞ!』
とか抜かしとる人がおるそうですが…。
じゃかしい!そのうるせー口に
俺のあらぶる燃料棒突っ込んで黙らすぞッ!コノッ!

去年のいまごろは…ちょうど今起きたばかりでしたね。
工場が4時から稼動しよるんで、コーヒー沸かしながらネットしてたら
急にガタガタあたりが震えだして…。

まあどうせ仕事は中止にはならんだろうと思って
工場に出てきてみれば『今日は中止!』。
工場のあっちこっちで車がひっくり返ってて何が何やら…。
そのあとです。テレビで宮城県の状況を見て
『これはただごとじゃない』とようやく理解できたのです。

| 足場鳶 | 2012/03/11 14:05 | URL | ≫ EDIT

>>足場鳶さん

「不謹慎厨」という言葉が蔓延した今も「不謹慎だ!」と荒ぶれる猛者が現れるなんて……。ツイッターってそういう意味でも凄い……。って、その燃料棒発言も、「不謹慎」の的になりかねませんぜww

ちょうど一年前の事を振り返ると。
地震の直後、電気もガスも水道も止まった現住居をそのままに、バイトに向かってました。正直バイトどころではなかったのですが、チーフから「地震凄かったねー。今日結構忙しいから早めに来てねー」なんていう、それこそ「え、俺の心配しないなんてなんて不謹慎な」と思うような電話があったからでww

で、東北の有り様を知ったのが、バイトが終わって実家に帰った22時過ぎ。最初は、映画か何かかと思ったんですよ。あまりに現実離れしてて。で、あの辺りって、田舎に帰った時に、普通に車で通ったりした道だったんで、本当「嘘でしょ…」って感じでした。

ファイナルファンタジーの次回作から、リヴァイアサンの威力がバハムートを超えるんじゃねぇかってハラハラせざるを得ないです……。

| もすけ | 2012/03/11 14:32 | URL |

ほんとだね

俺が直接宮城の壊れっぷりを見たのは、昨年末だったけど、
未だにグチャグチャな部分と
シッカリなおってる部分の差が
激しくてね。

| u4gvn3 | 2012/03/11 17:45 | URL |

違うと思います

 私は其れは違うと思います。
と言うより、付け加える事が有ります。
 地震の話題に触れる事により、いかにも、社会人であるという自分自身への満足を抱くのは御勝手ですが、事有る毎(ごと)に態(わざ)と地震(3.11)の話題を持ち上げて態(わざ)としんみりする事は、私に迷惑です。第5次災害です。
第一次災害は地震。
第二次災害は地震に拠る、火事、死亡、怪我。
第三次災害は其の死亡した人の遺族が悲しいという事。
そして、第4次災害は、死亡した人と全く関係の無い人まで、無理矢理黙祷させられる事や、無理矢理しんみりとした気分に押し下げられる事です。
是非とも、第3次災害迄(まで)に押し留めて下さい。
 死んだ人は、復(かえ)って来ません。
復興するのは、今、生きている、生き残った人です。
死んだ人は死にました。
亡く成った方も、そんなに何度も[黙祷]されても困ります。
天国で、困っています。

| 羽旨まぼる | 2012/03/12 09:55 | URL | ≫ EDIT

>>u4さん

ちょっとしたことで、命運が決まってしまったりするんだなぁ……って思いました。
家が建てられた場所によっても、倒壊するか、しないか。
逃げた場所によっても、波にのまれるか、のまれないか。

いまぐちゃぐちゃなところも。
今年中、来月、来週……。
なるべく早く。
建て直されればと思います。

| もすけ | 2012/03/12 14:38 | URL |

>>羽旨まぼるさん

お……おお。
そういう考え方もあるんですね。
勉強させていただきました。


社会人云々はともかく。
僕は。
自分が死んだら。
自分の命日ぐらいには、やっぱり「思い出して欲しいな」って思っちゃいます。
生きてる人には、迷惑な話かもしれないですけど……。

前に向かう事って、凄く大事ですよね。
死んだ人は死んだ人。
その通りです。
……でも、こっから先がたぶん。
僕と羽旨さんは違っちゃうんだろうと思います。

時には、立ち止まる事も必要だって、僕は考えます。
一分でも、一秒でも。
立ち止まって空を見る。
出会った人達のことを思い出して。
優しい気持ちになる。
そういうのも、大事なことだって思います。
死体はあくまで死体ですけど。
その死体がまだ人だった頃の記憶は、想い出はしっかり残ってます。
けど、どうしても、新しい記憶で埋もれちゃうから。
だからせめて、そういう日にぐらいは、意識的に思い返して。
「忘れたくない」って思う人もいます。
過去を過去として切り離して。
そのまま置き去りにしたくはないんです。
過去を未来に繋げたいです。
「見ててくれよ、俺、頑張って生きるから」
と、自分を奮い立たせる人もいると思います。
逆もまた然り。
それはもう、人それぞれですよね。

お墓を作るのだってそうです。
石碑を建てるのもそう。
「忘れたくない」んです。
もちろん誰にも強要はしませんし。

それでもしっかり前に進めれば良いんじゃないかと。
そう思います。

| もすけ | 2012/03/12 15:08 | URL |















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