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バトン

例えば僕は、子供を授からないだろう。
それはつまり、命のバトンを繋げないということ。
精子提供なんかをすれば、物理的に――は、おそらく可能なんだけれど。
僕が言いたいのは、そういうことではなくて……。

「想いは伝えないと、想っていないのと一緒だ」

と、ビールのCMで耳にして、それがずっと、引っかかってる。

僕の本当の心はたぶんきっと、本当に大事な人には絶対に伝えられない。
少なくとも今は、伝えたくない。

伝えたら、何かが終わってしまう気がする。
今まで大事にしてきたもの、時間、関係。
全部なくなってしまう気がする。

じゃあ。
何の為に僕は生きているんだろう。

誰かの為に生きようと思った時期もあった。
自分のことはもう、夢も希望もないから。
せめて、誰かを幸せな気持ちにさせたり、誰かの役に立てれば。
そうすれば、「生きていてもいいよ」って言ってもらえる気がした。

けど最近。
生きているだけで、それは凄く恵まれているのだと感じる。
例えばテレビで、子供の死が報道された時。
その子の死が同時にどれだけの可能性をかき消したのかを想像すると怖くなる。

人は、生きてるだけでこの世に影響をもたらしてるんだと思う。
それが例えば、サハラ砂漠に鼻くそを一個投げ捨てるような、本当にちっぽけな影響でも。
その鼻くそを食べて生きながらえた虫が繁殖をして人間の染料の材料になり、その染料で染め上げられた着物を来て歩く女性を好きになった男が告白をして結婚して子供ができてその子が自分の子供と恋に落ちるかもしれない。

良いか悪いかはわからないけど。
でも、生きてるだけで多分、良いんだと思う。
いや、生きてるだけで良いっていうのは、働かなくていいとかそういうことじゃなくて。
生きる「意味」とか「理由」とかなんかよくわからなくても、勝手にあーだこーだなってるんじゃねーかなっていう。

……話がものすごくそれたきがするけど、僕が今一人の人間を心から好きな気持ちは一体どうなってしまうのかっていうのが漠然と不安だったりするのです。

こんな苦い恋の思い出が人生の糧となって今後の僕の役に立つのだろうか。
でも少なくとも、こんな気持ちがなければ、このブログを立ち上げることもなかっただろうし、それはつまり、こんな気持ちがなければここで知り合った人たちには出会えなかったということで。

そう思うと、やっぱりこの気持ちも少しは役に立ったのかななんて思う。
まぁそれも、他の……例えばもっと幸せな人生の可能性を度外視すれば――の話だけれど。

なんかうまくまとまらないや。

とりあえず、7月から今の勤め先の社員になれそうです。
「1年間修行してから――」という話だったのだけれど、まさかの半年も経たずに社員として雇用してもらえるなんて。
「なんていい加減な会社なんだ」と思うか「俺ってのはめっちゃ信頼されてんじゃん!」と思うかは俺次第だけど、ここは控えめに「人手が足りないんだろうなぁ」と思っておくことにする。

| 日記 | 23:57 | comments:8 | trackbacks:0 | TOP↑

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