友達の家
↑これ。
「桃鉄」といえば有名なゲームなので皆さん御存知の事と思いますが、一応。スゴロクゲームみたいなもんです。プレイヤーがそれぞれ鉄道会社(?)の社長になって、色々なマスに止まったり色々な施設(?)だか土地だかを購入したりして所持金(総資産)を増やしていき、最終的に一番金持ちだった人が勝ち。っていう。簡潔に言えば、対戦色の強い人生ゲームみたいなもんですww
自分ゲームは人並み以上にプレイしてきた人間ですけど。あいにくと、友達の少ない人生を送ってきたのでボードゲームやパーティーゲームはやった事が殆どなく……。今回の桃鉄も、シリーズ通して過去1回くらいしかやった事ありませんでした。ですが基本的に「ゲームをする事」が生き甲斐の1つと言っても過言ではない自分。とても楽しめました♪
……まぁ、ダントツでビリでしたけど(笑)。1位の先輩が300億とか稼いでて、2位の友達が280億とかで。だのに自分40億とかで……。
(´・ω・`)しょぼんぬ
って感じでした。楽しめたので良いんですけど♪
しかしながら、友達の家にお邪魔する……っていうのが、なんだか嬉しかったです。リラックスはできないんですけど、「あー、ここでコイツは普段生きてるんだなぁー」っていうを感じると、なんだか少し友達として距離が縮まったようで。普段そういうこと言わなそうな友達が、飼っているペットを名前で「〇〇ちゃ~ん♪」って呼んでデレデレしてたり。「あ~、いいな~」って思います(笑)。
と同時に。他人の家庭と、自分の家庭の差っていうのが目に見えて、少し凹んだりもします。それぞれの家庭が「違う」っていうのは当たり前の事なんですが……。限度を超えて、違うっていうか。まぁ昨日はそうでもなかったのですが。
以前好きだったM氏の家にお邪魔した時は、お母さんの優しさだったり、お父さんの純粋さだったり、妹の可愛さだったりを、これでもかっていうほど見せ付けられて。泣きそうになりました。「Mが好きだったから」っていうのもあると思います。好きな人を取り巻くあまりの温かい環境に。赤の他人と同居しているような家庭に暮らす自分との距離を感じて。「つりあわない」って思って悲しくなって。まぁそもそもノンケとゲイじゃ釣り合わないんですけどね(笑)。それも含めて、悲しかった訳です、はい。
「円満な家庭」自体が今の世の中そうそう無いのかもしれませんが。それでも我が家はそれなりに円満じゃないっていう確信があって。そんな自信あったところでどうにもならないんですけど……。苦しみの種類を「一種類」とするならば。
「大切な人が死ぬ」
事と
「殺したい奴が生きてる」
事の差異。
家族が死ぬ事で苦しみがあるか。
家族が生きてることで苦しみがあるか。
前者の場合は、大切な人が生きてる間は幸せ。
後者の場合は、殺したい奴が死んだら幸せ。
幸せの形、時間、意味、理由。
同じようで、まるで違うのかもしれないし。
まるで違うようで、同じなのかもしれない。
だから多分、それぞれが持ってる想いがいちいち正解なんだろうなと思う。だけど、その想いを他人に当てはめようとしても当てはまらないから、悲しかったり悔しかったり、劣等感を感じたり、惨めだったりするんだろうなぁ。
「お前はいいよ、〇〇なんだから」
っていう言葉は、だから、全く同じ人生を歩んだ人間にしか当てはまらないのに、どうしてかついつい言ってしまいたくなる言葉で。それを我慢してると、なんだか苦しくなって、たまらなくなる。独りぼっちな気がしてきて、寂しくなる。
……話が大分脱線しちゃいました。兎にも角にも、友人宅で桃鉄を徹夜でやって、家に帰って寝て、起きたら15時で、こうして日記つけてます。これからバイトです。頑張ります。
それではいってきます!!
| 日記 | 16:05 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑
桃鉄・・・
小さい頃大晦日に従姉妹と耐久プレーしてたの思い出した。懐かしい~
他人と気持ちや思いを共有するってのは難しいことだと思うよ。
そこで相手と考えが食い違ってたりすると「お前は~」とか言われたり、自分を受け入れてもらってないような気がしたりして、悔しかったり悲しかったりするんだろうね。
そういうのが寂しいから人って一緒にいて相手を分かろうとするんじゃないかな?
| yama | 2009/06/07 21:04 | URL |