第一話
「お前、結婚しないの?」
飲み会の席で幾度と無く聞かれるその問にいい加減辟易としながらも、俺は愛想笑いを浮かべ、極めてヘラヘラと「一人の方が楽ですからね」と答えるのがお決まりだった。そうすると大概ビールジョッキを片手に「家に帰ってかみさんが言ってくれる「おかえり」にどれだけ癒やされるか!」や「正解!結婚なんてしないほうが良いよ、ほんと!」と、上司達が酸っぱい息を撒き散らしながら、饒舌に幸せ自慢を始める。
結婚。俺はこの言葉が、なんとなく理解できないでた。それはたぶん、深海をを泳ぐ魚にとってみたら、「空」という存在が理解できないような、そんな感覚に似ているんじゃないかと思う。深海魚の気持ちなんて、分かりはしないけれど。
「それともお前…こっち系!?」
お決まりのオカマポーズを決めながら、いい年をしたおじさん達がゲラゲラと下品な笑い声を響かせる。これももう、見慣れた光景であり、また、僕を辟易させる一連の流れの一部だ。「いやー俺は妻が居るからダメだぞ!?」と、こちらとしては少しも興味のないフケまみれの薄らハゲた白豚が拒絶反応を示してみせるが、俺は真面目な顔をして「ダメなんですか?」と詰め寄る。これでこの場の空気作りは終わりだ。知能の低いクズどもがゲラゲラと喜んでいるのを、酷く冷めた感情で眺め見るのはもうこれで何度目だろう。
俺は、「すみません、明日ちょっと早くから用事があるんで、これで」と言って席を立つと、幹事に五千円札を渡して、店を出た。
夜の繁華街がどうしても好きになれないのは、そこが僕にとって、やっぱりどうしても、無縁な場所だからなんだろうな。同性愛者として産まれた僕には、結婚だとか、子作りだとか、孫だとか。そういったものが全部、よく、わからないものだった。もし仮に、男同士でも、子供が作れたら。俺はもっと、違う人生を歩んでいただろうか。
「今日、めちゃくちゃ可愛い子居ますよ!?どっすか!?」
キャバクラのキャッチを片手で軽くあしらって、俺はいつもの公園を目指す。高台にある、砂場と、滑り台しかないような、小さな公園。
歩きながら俺は、キャバクラのキャッチをあしらった、自分の右手を見る。
もし、俺にも幸せな未来が思い描けていたら。
こんなにも空っぽな右手にも、誰かの温かな左手が繋がれていたんだろうか。
そこまで思考したところで、むしょうにクシャミがしたくなった。
口元を手で覆いクシャミをする。
俺の手には誰かの温かい手なんかより、自分の唾液がお似合いってか。
自嘲気味に鼻で笑うと、俺は歩く速度を少し、遅めた。
いつもこの時間は誰も居ないのに。
今日はどうやら、先客がいるようだ。
でも、そんなことはどうだっていい。俺の特等席の、滑り台の上が空いてれば、それで。
子供用といっても低すぎるように思える滑り台に昇ると、俺は手すりに腰掛けた。
今日も、夜風が心地よい。
ラッキーストライクのにおいがしてこないことをただ、切に願うばかりだ。
「…………………」
滑り台からそう離れていないところに、砂場がある。
子供の頃はよく、泥団子を作っては、壁に当てて遊んでたっけ。
その砂場から、鼻をすする音が、微かに聞こえてくるのを無視することもできたんだ、きっと。
でも。
「おいメガネ」
声をかけてしまったのは、なんでなんだろうかな。
昨日――と言っても、日付的には今日の朝なのだが。ここで出会ったメガネをかけた子供がそこにいた。
投げかけた言葉に、特に返事はなかった。
気にせず、続ける。顔も視線も、キラキラ輝く町並みに向けたまま。
「大丈夫か?」
やっぱり、返事はなかった。
俺は、ため息を1つつくと、滑り台の上から、砂場めがけて、ジャンプした。
流石にそれには驚いたのか、しゃがみこんでいたメガネが尻もちを付く。
「あ…危ないですよ!?怪我したらどうするんですか!?」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔で怒り出すメガネに、俺はなんだか可笑しくなって、ケラケラと声を出して笑った。
こんな風に笑ったのは、いつ以来だっけな。
よく、思い出せない。
「俺のこと無視したお前が悪いんだろうがよ」
「ぼ…僕だって昨日、無視されました」
「おいおい、大人の俺とお前が対等だと思うなよ?俺はお前を無視して良いんだよ」
「なんですか、その理屈。子供じゃあるまいし」
「お前こそガキンチョのクセに大人みたいに喋って可愛くねーんだけど」
「別に可愛いなんて思われたくないですから」
「まぁ、でも、さっきここでべそかいてたのは可愛かったけどな」
「…………」
メガネはそこで、黙りこんでしまった。
今にも泣き出しそうな顔で、でも、それをグッとこらえてる表情に、俺は少し、胸が痛んだ。
ふと。
メガネの足元に、ボロボロになったお守りが落ちているのを見つける。
ボロボロすぎてよく見えなくなってしまっているものの、辛うじて「健康」という二文字は読み取れた。
「健康祈願…か?」
無意識に吐き出した言葉を皮切りに、メガネは嗚咽を漏らしながら、泣き出した。
「お…おい。これじゃあなんか、俺が泣かせたみたいに見えるだろうがよ」
しゃがみこんでお守りを拾うと、砂埃を払ってから、メガネの右手にそれを握らせた。
なんとなく、メガネに起きた出来事が想像できて、俺はメガネに皮肉をいうことができなくなった。
子供同士の喧嘩か、あるいは……いじめ。
「り……お兄ちゃんが、くれたお守り……なんです」
嗚咽混じりに、メガネは言葉を紡ぎだした。
昨日の木琴とは程遠い、あまりにも不格好な声色で。
「身体の弱い僕の為に、って…お小遣いを…使って…」
「うん」
「でも…同じクラスの子達が…気持ち悪いって……」
「…うん」
「う……ううぅぅ……せっかく……くれたのに。気持ち悪くなんて……ない…のに」
俺の右腕は、自然とメガネを抱き寄せていた。
小さな頭が、俺の空っぽの胸に収まる。
目頭が熱いのを隠すには、こうするしかなかった。
「お前の兄貴、すげぇお守りくれたな」
声が震えないように、意識を集中する。
「お前の代わりに、ボロボロになってくれてんじゃん、それ。その辺の奴らがぶら下げてる、ずーっと綺麗なお守りなんかより、ずっと役に立ったって思うけどな、俺は」
友人の自殺を必死に止めた日のことを。
また、思い出してる。
どうして友人を止めたのか。
たぶん、そいつに良く思われたかったからなんだ。
そいつの生き死に自体は、別に、どうでも…。
今の俺も、あの時と同じなんかな。
俺がいじめられた子供を励ましてるのは、コイツに良く思われたいから…なんだろうか。
よくわからないけど、でも。
俺の胸の中で、声を上げて泣いてる、どこの誰かもわからないこのメガネの悲しみを。
少しでもいいから、和らげてやりたいって。
そう、思った。
そこにある理由も、意味も。
なんかもう、面倒くさいから。
考えるのをやめた。
「なんで、僕に声をかけたんですか?」
「は?」
「昨日…同じこと聞かれたんで。僕も、聞いてみました。覚えてないんですか?」
「覚えてね」
なんとなく、嘘をついた。
「なんか、泣いてるっぽかったから、声かけただけだよ」
ポツリと呟く。
「僕も、同じです」
「…ん?」
「昨日、お兄さんが泣いてるみたいに見えたから、ちょっと怖かったけど、声を…かけました」
「……………ふーん」
「その後に言ったことも、覚えてないですか?」
「………覚えてないな」
また、嘘をつく。
「…ありがとうございます」
メガネも、ポツリと呟いた。
「これも、同じですね」
その後でやっと、メガネが子供みたいに笑うのを見た。
「…なんだよそれ」
いいながら俺も、少しだけ、笑った。
遠くの方で、チカチカと光るマンションの明かり。
アスファルトをこする、タイヤの音。
犬の遠吠え。
少し冷たい、春の夜風。
今日はなんだか、よく、眠れそうな気がする。
終
飲み会の席で幾度と無く聞かれるその問にいい加減辟易としながらも、俺は愛想笑いを浮かべ、極めてヘラヘラと「一人の方が楽ですからね」と答えるのがお決まりだった。そうすると大概ビールジョッキを片手に「家に帰ってかみさんが言ってくれる「おかえり」にどれだけ癒やされるか!」や「正解!結婚なんてしないほうが良いよ、ほんと!」と、上司達が酸っぱい息を撒き散らしながら、饒舌に幸せ自慢を始める。
結婚。俺はこの言葉が、なんとなく理解できないでた。それはたぶん、深海をを泳ぐ魚にとってみたら、「空」という存在が理解できないような、そんな感覚に似ているんじゃないかと思う。深海魚の気持ちなんて、分かりはしないけれど。
「それともお前…こっち系!?」
お決まりのオカマポーズを決めながら、いい年をしたおじさん達がゲラゲラと下品な笑い声を響かせる。これももう、見慣れた光景であり、また、僕を辟易させる一連の流れの一部だ。「いやー俺は妻が居るからダメだぞ!?」と、こちらとしては少しも興味のないフケまみれの薄らハゲた白豚が拒絶反応を示してみせるが、俺は真面目な顔をして「ダメなんですか?」と詰め寄る。これでこの場の空気作りは終わりだ。知能の低いクズどもがゲラゲラと喜んでいるのを、酷く冷めた感情で眺め見るのはもうこれで何度目だろう。
俺は、「すみません、明日ちょっと早くから用事があるんで、これで」と言って席を立つと、幹事に五千円札を渡して、店を出た。
夜の繁華街がどうしても好きになれないのは、そこが僕にとって、やっぱりどうしても、無縁な場所だからなんだろうな。同性愛者として産まれた僕には、結婚だとか、子作りだとか、孫だとか。そういったものが全部、よく、わからないものだった。もし仮に、男同士でも、子供が作れたら。俺はもっと、違う人生を歩んでいただろうか。
「今日、めちゃくちゃ可愛い子居ますよ!?どっすか!?」
キャバクラのキャッチを片手で軽くあしらって、俺はいつもの公園を目指す。高台にある、砂場と、滑り台しかないような、小さな公園。
歩きながら俺は、キャバクラのキャッチをあしらった、自分の右手を見る。
もし、俺にも幸せな未来が思い描けていたら。
こんなにも空っぽな右手にも、誰かの温かな左手が繋がれていたんだろうか。
そこまで思考したところで、むしょうにクシャミがしたくなった。
口元を手で覆いクシャミをする。
俺の手には誰かの温かい手なんかより、自分の唾液がお似合いってか。
自嘲気味に鼻で笑うと、俺は歩く速度を少し、遅めた。
いつもこの時間は誰も居ないのに。
今日はどうやら、先客がいるようだ。
でも、そんなことはどうだっていい。俺の特等席の、滑り台の上が空いてれば、それで。
子供用といっても低すぎるように思える滑り台に昇ると、俺は手すりに腰掛けた。
今日も、夜風が心地よい。
ラッキーストライクのにおいがしてこないことをただ、切に願うばかりだ。
「…………………」
滑り台からそう離れていないところに、砂場がある。
子供の頃はよく、泥団子を作っては、壁に当てて遊んでたっけ。
その砂場から、鼻をすする音が、微かに聞こえてくるのを無視することもできたんだ、きっと。
でも。
「おいメガネ」
声をかけてしまったのは、なんでなんだろうかな。
昨日――と言っても、日付的には今日の朝なのだが。ここで出会ったメガネをかけた子供がそこにいた。
投げかけた言葉に、特に返事はなかった。
気にせず、続ける。顔も視線も、キラキラ輝く町並みに向けたまま。
「大丈夫か?」
やっぱり、返事はなかった。
俺は、ため息を1つつくと、滑り台の上から、砂場めがけて、ジャンプした。
流石にそれには驚いたのか、しゃがみこんでいたメガネが尻もちを付く。
「あ…危ないですよ!?怪我したらどうするんですか!?」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔で怒り出すメガネに、俺はなんだか可笑しくなって、ケラケラと声を出して笑った。
こんな風に笑ったのは、いつ以来だっけな。
よく、思い出せない。
「俺のこと無視したお前が悪いんだろうがよ」
「ぼ…僕だって昨日、無視されました」
「おいおい、大人の俺とお前が対等だと思うなよ?俺はお前を無視して良いんだよ」
「なんですか、その理屈。子供じゃあるまいし」
「お前こそガキンチョのクセに大人みたいに喋って可愛くねーんだけど」
「別に可愛いなんて思われたくないですから」
「まぁ、でも、さっきここでべそかいてたのは可愛かったけどな」
「…………」
メガネはそこで、黙りこんでしまった。
今にも泣き出しそうな顔で、でも、それをグッとこらえてる表情に、俺は少し、胸が痛んだ。
ふと。
メガネの足元に、ボロボロになったお守りが落ちているのを見つける。
ボロボロすぎてよく見えなくなってしまっているものの、辛うじて「健康」という二文字は読み取れた。
「健康祈願…か?」
無意識に吐き出した言葉を皮切りに、メガネは嗚咽を漏らしながら、泣き出した。
「お…おい。これじゃあなんか、俺が泣かせたみたいに見えるだろうがよ」
しゃがみこんでお守りを拾うと、砂埃を払ってから、メガネの右手にそれを握らせた。
なんとなく、メガネに起きた出来事が想像できて、俺はメガネに皮肉をいうことができなくなった。
子供同士の喧嘩か、あるいは……いじめ。
「り……お兄ちゃんが、くれたお守り……なんです」
嗚咽混じりに、メガネは言葉を紡ぎだした。
昨日の木琴とは程遠い、あまりにも不格好な声色で。
「身体の弱い僕の為に、って…お小遣いを…使って…」
「うん」
「でも…同じクラスの子達が…気持ち悪いって……」
「…うん」
「う……ううぅぅ……せっかく……くれたのに。気持ち悪くなんて……ない…のに」
俺の右腕は、自然とメガネを抱き寄せていた。
小さな頭が、俺の空っぽの胸に収まる。
目頭が熱いのを隠すには、こうするしかなかった。
「お前の兄貴、すげぇお守りくれたな」
声が震えないように、意識を集中する。
「お前の代わりに、ボロボロになってくれてんじゃん、それ。その辺の奴らがぶら下げてる、ずーっと綺麗なお守りなんかより、ずっと役に立ったって思うけどな、俺は」
友人の自殺を必死に止めた日のことを。
また、思い出してる。
どうして友人を止めたのか。
たぶん、そいつに良く思われたかったからなんだ。
そいつの生き死に自体は、別に、どうでも…。
今の俺も、あの時と同じなんかな。
俺がいじめられた子供を励ましてるのは、コイツに良く思われたいから…なんだろうか。
よくわからないけど、でも。
俺の胸の中で、声を上げて泣いてる、どこの誰かもわからないこのメガネの悲しみを。
少しでもいいから、和らげてやりたいって。
そう、思った。
そこにある理由も、意味も。
なんかもう、面倒くさいから。
考えるのをやめた。
「なんで、僕に声をかけたんですか?」
「は?」
「昨日…同じこと聞かれたんで。僕も、聞いてみました。覚えてないんですか?」
「覚えてね」
なんとなく、嘘をついた。
「なんか、泣いてるっぽかったから、声かけただけだよ」
ポツリと呟く。
「僕も、同じです」
「…ん?」
「昨日、お兄さんが泣いてるみたいに見えたから、ちょっと怖かったけど、声を…かけました」
「……………ふーん」
「その後に言ったことも、覚えてないですか?」
「………覚えてないな」
また、嘘をつく。
「…ありがとうございます」
メガネも、ポツリと呟いた。
「これも、同じですね」
その後でやっと、メガネが子供みたいに笑うのを見た。
「…なんだよそれ」
いいながら俺も、少しだけ、笑った。
遠くの方で、チカチカと光るマンションの明かり。
アスファルトをこする、タイヤの音。
犬の遠吠え。
少し冷たい、春の夜風。
今日はなんだか、よく、眠れそうな気がする。
終
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